2023-12-28

Donation Report マウイ島の火事に寄せられた寄付金の活用報告

 

皆さん、私が8月にあげたマウイの火事についてのYouTubeビデオを覚えていらっしゃいますでしょうか。

はい、あの所々かんじゃってて、「顔出しで行くかどうか」でかなり悩み、一人会議をした結果、「被災された方々が直面している大変さにくらべれば、私の怖さや恥ずかしさなんて滅茶苦茶ちっぽけだぞ」と自分を奮い立たせ、「子ども達のためだったらどんな恥でもかきます!」と言って出させていただいたビデオです。 

最初は「50人くらいの方が観てくださるだろう」と思ってシェアしたところ、皆さんがシェアをしてくださったおかげで、想像をはるかに超える人数の方に観ていただく運びとなりました。

そうして数多くの方から温かいメッセージをいただきました。それもひとえに、シェアをしてくださった、心優しい皆さまのおかげです。

寄付をしてくださった方の中には、それまでゆかりのなかった個人の方で、30万円も振り込んでくださった方がいらっしゃったので、「もしかしたら振り込んでくださった際に間違って、ゼロを多く打ってしまったのかもしれない。三万円、もしくは三千円の間違いかもしれない。それなら27万円、もしくは29万7千円をすぐにお返ししよう!」と思って連絡をしたところ、

「金額に間違いはございません。私の口座で眠っておりました虎の子を起こしまして、『さあ~!君達が活躍する時が来たので、上岡さんの所で頑張るように』と送り出しました。」

と返事をくださいました。

それを読んで、涙がどーっと出てきました。 今でも出ます。

他にも「こちらの寄付は安佳里さんが、ご自身の日本の銀行口座からアメリカの銀行口座に移す際の手数料に充ててください」と気遣ってくださる方までいました。

私は寄付をしてくださった方々と、被災をされた方々を結ぶ、一介の橋渡し役に過ぎないのですが、そのような皆さまの優しいお心に触れる貴重な体験をさせていただき、大変ありがたい気持ちでいっぱいです。

沢山の方が「僅かな金額ですが」という言葉を添えて寄付をしてくださったのですが、どんな金額でも私にとっては、「僅か」ではありません。たとえ100円であろうと、皆さまが汗水流して得られたお金を、見ず知らずの私に委ねてくださったことに、いたく感動し、「これは一銭も無駄にはせんぞ」と思い、寄付金活用作業に精を出させていただきました。

火事から四ヶ月が経った今、その作業に目処が立ったので、皆さまに報告をしたく、こちらのビデオを作成いたしました。ビデオは3つのセクションから成っています。 

1) 拝受した寄付金額合計
2) 寄付先一覧
3) 寄付の例。寄付先からのメッセージ

この同じ地球(ほし)に生きる、同胞から同胞への温かいエール(寄付)がこのように行われましたよとシェアさせていただくことで、皆さまの心にも、温かいともしびが灯(とも)りますと、本望です。

2023-08-21

About the Maui Fires マウイの火事について



マウイ島の火事に対しての寄付先一覧 更新:2023-08-29(ハワイ時間)


「ポッドキャストを作成するときのように声だけで行こう」と最初は思っていたのですが、「このような大切なお話をするのに、そして最後にはマウイの方々のために寄付を募るのだから、顔を出した方が良いのではないか」と思い始めました。

でも「話しているところを不特定多数の方に見られる可能性がある」ということに対し、正直「怖い」という気持ちがあり躊躇がありました。しかし「アップカウントリーやラハイナの人々が直面している大変さにくらべれば、私の怖さや恥ずかしさなんて滅茶苦茶ちっぽけだぞ」「It's not about me; it's about us(これは自分のことじゃない、マウイの人々のこと)だぞ、あかり!」と思いました。 

ということで、最初だけ顔を出してお話させていただいております。

そしてこのビデオは何度もマウイに行ったことがあるという方よりは、一度も行ったことがないという方向けに、マウイの地理なども含めて作成いたしました。 

何度か撮り直しを重ねまして、「まだカミカミなところあるけど、時間がない。もうこれで行かせていただこう!『教師なので子どものことをどうしても考えてしまう』って二回言っちゃってるけど、発音が明瞭じゃないところあるけど、『完璧』目指してたらいつまでも発表できないし、それはこのビデオ作成のそもそもの目的である日本の方にマウイの現状を知ってもらうことから遠ざかっちゃうぞ」と自分を諭し、発表にいたりました。 

「シェアしてください」という気持ちと「あんまりシェアしないでください」という気持ちが未だに混在していますが、でも「マウイの方々のために、特にマウイの子ども達のために見てください!」と言いたいです。

子ども達のためだったらどんな恥でもかきますし、どんなに怖いことでもします! よろしくお願いいたします。 


 (以下は日本時間で8月26日午後18:30に書き込みました。) 

 想像を遙かに超える人数の方々に、上の動画を観ていただき、そして見ず知らずの私を信じて寄付をしてくださり、心奥から感謝の気持ちで溢れております。

寄付だけでなく、心優しいお言葉を添えて送ってくださった方々も多数いらっしゃいました。お一人お一人にお返事をさせていただきたいと思っております。まだお返事をできていない方もいらっしゃいますが、必ずいたしますのでしばしお待ちいただければ幸いです。私は月曜から土曜まで日中は教えており、皆さまに早急にお返事できないことを大変歯痒く思っております。 

私に直接寄付金を送ってくださった皆さまには、指定がある場合は指定の寄付先の領収書を、そして「あかりさんにお任せいたします」という場合は、私が選んで寄付させていただいた寄付先のまとめを、明記したものをお送りいたします(下記参照)。皆さまの大切な大切なお金がどこに行ったか、ちゃんと報告いたします。 

お任せされた場合は、どうして必ずしも一箇所に寄付せずいくつかに分けたかというと、そうすることで色々な団体に想いを馳せていただけるかなと思ったからです。「自分の寄付金の一部が家をなくした大学生の教科書代になったかな。一部は赤ちゃんのオムツになったかな」と想像したり、寄付金で購入された竜巻で家をなくした子どものお話を読んでいるマウイの子ども達の顔を思い浮かべたりして、少しでも具体的に皆さまの大切なお金の行き先を知っていただけたら、「寄付した甲斐があった」と思っていただけるかなと思ったのです。自分が飛ばした紙飛行機が降り立つところを見られると、充実した気持ちになれるように。 

皆さまの心遣いに、心から御礼申し上げます。

(下のサンプルではPacific Birth Collectiveさんが「半端もの」の行き場所になっていますが、彼女らにもちゃんとまとまった額を寄付しております。)





2023-03-16

Grandma, I’m home! おばあちゃん、ただいま!


At the end of last October, I returned to Japan for the first time in three years and stayed there for three weeks. 

Three flights after I left Maui, I landed in Matsuyama, where my parents live. Then I drove for an hour to grandma's straight from the airport. 

The sun was setting behind me as I entered the mountains. My jet-lagged mind was still groping with the fact I was finally in Japan, and as surreal as it was, I could tell my whole being was slowly coming to ease and breathing deeper. 

"Ahhh, I am home." 

I remembered the mountain road like I was there yesterday, parked my dad's car, carried my suitcase to the entrance, and opened the door with the key. It was the first time opening grandma's house with a key because she was always there when I went there. 

I searched for the light switch in the pitch dark with my open hand. The earthen floor of the house lit up. Accessing olfactory memory, I inhaled the air as much as possible and announced, "Grandma, I'm home!" as I always did. 

No one answered, but the 130-year-old home embraced me. 

I closed the door behind me, climbed to the raised tatami floor, found more light switches, and approached the traditional Buddhist altar where the memorial tablets for ancestors are kept. I bow to the altar, light an incense, ring the singing bowl, and put my hands together to report that I am finally back and thank them for my safe travel. 

For me, who had not been able to return to Japan for a while since my grandma’s death in the summer of 2020, seeing the house without her helped my mind and heart fully come to terms with the fact that she was no longer there. 

I found myself sobbing, but I was not sad anymore; I cried enough when she passed. The relief and comfort provided upon my long-desired return to her home located the last bit of tears that I had not been able to access until then. 

After I let her physical absence sink in, while feeling her love surrounding me, I looked up at the altar with a smile and said to her and the ancestors, "And I'm hungry!" 

Then I washed my hands and started eating a beautiful and nutritious bento dinner my mother had prepared (she had left it in the car for me). 

I sang a made-up song as I boiled water to make an instant miso soup, "I'm home, yay yay yay. I'm hungry, yay yay yay. I'm alive, yay yay yay. I'm grateful, yay, yay, yay!" hoping it would amuse the ancestors. 

I didn’t know the night at grandma's would be that dark and that quiet. It was the first time I had stayed there by myself. 

I took a hot bath and went to bed. Feeling securely nestled in the home built by my great grandpa, it did not take long to fall asleep. 

And I woke up to this view, filled with light. (See the photo above)

You can listen to this article's podcast episode at the following link.

The episode number is #10 for Japanese Language Learners and #11 for English Language Learners.


----------(Japanese)----------

昨年の10月の終わりに3年ぶりに日本に帰国し、3週間ほど滞在した。

 

マウイを発ってから三つ目のフライトの後、実家のある松山に降り立った。そのまま車で一時間の祖母の家に直行した。

 

市街地を抜け山間地に入ると、背後に太陽が沈んでいくところだった。日本にやっと帰ってきたという事実を時差ぼけの頭でぼんやりと咀嚼していた。「これは夢かしら?」と思う反面、旅の緊張がほどけ、呼吸が深くなっていくのがわかった。

 

「あぁ、やっと帰ってきた。」

 

祖母の家までの山道は、昨日来たみたいに覚えていた。借りた父の車を駐車し、スーツケースを降ろして、玄関まで転がしていく。そして鍵を手に、玄関を開けた。祖母の家の玄関の鍵を開けるなんて、初めてのことだった。だって私が行くときは、祖母はいつも家にいたから。

 

空いている手で電気のスイッチを探す。土間に光が差す。

 

祖母の家特有の匂いが脳みそと心の懐かしさの琴線に触れ、私は胸いっぱいに息を吸った。そして「おばあちゃん、ただいま〜!」と声に出して言った。

 

「おかえり」と言ってくれる人はいなかったけれど、築130年の家は私を包み込んでくれた。

 

玄関のドアを閉め、家に上がり、居間の電気を点ける。そしてご先祖さまたちの位牌のある仏壇に向かった。

 

一礼をし、線香に火を点け、お鈴を鳴らし、手を合わせた。無事に帰国したことを報告すると共に、その旅が安全であったことを感謝した。

 

2020年の夏に祖母が亡くなってから日本に帰国できていなかった私には、祖母のいない家を見たことで、祖母が死んだという事実に私の頭と心の中の現実味がやっと追いついた。次の瞬間泣いている自分がいたけれど、悲しくて泣いたのではなかった。

 

ずっと帰ってきたかった祖母の家にやっと帰ってこられてほっとした心が、この時までアクセスできなかった涙たちの居場所を見つけた。

 

祖母の不在という現実を受け入れ、そして体はなくとも今も注いでくれている祖母の愛に包まれた私は、仏壇のご先祖さまと祖母に、「わたくし、安佳里、お腹空きました!夕飯を食べさせていただきます!」と報告した。

 

手を洗い、母が作ってくれていた見た目も美しく味も素晴らしいお弁当をいただいた。

 

そしてインスタント味噌汁用のお湯を沸かす間、思いつくままに

「家に帰ってきました、イエイ、イエイ、イエイ

おな〜かすきました、イエイ、イエイ、イエイ

生き〜ています、イエイ、イエイ、イエイ

ありが〜たいです、イエイ、イエイ、イエイ」

といった具合に、ご先祖さまたちに聞かせるように歌った。

 

祖母の家の夜があんなに暗くて静かなことを知らなかった。祖母の家に一人で寝たのは初めてだった。

 

熱いお風呂に入って、布団に入った。ひいお祖父さんの建ててくれた家に包まれ、また時差ぼけも相まって、寝入るのに時間はかからなかった。

 

そして翌朝目が覚めたら、この光に包まれていた。(上の写真参照)


この記事のポッドキャストは以下のリンクよりお聞きになれます。

日本語を学ばれている方はエピソード番号10を、英語を学ばれている方はエピソード番号11をお聞きください。